ブックタイトル資料政経
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高校政治経済資料集
86 ?第2章日本国憲法の基本的性格1戦争の惨禍と平和主義●1●原爆被害??広島・長崎とうさいき原爆搭載機B29「エノラ・ゲイ」号は,8月6日しょうれいかん午前8時過ぎ広島上空に侵入,県産業奨励館(現あいおい在の“原爆ドーム”)近くの相生橋を目標に,高度8500メートルからウラン型「リトルボーイ」を投下した。43秒後,高度580メートルの地点で爆発,それは目標から300メートル東南の島病院の上空第1だった。しゅんじかおく編瞬時にして爆心地から2キロ以内の木造家屋が現消滅した。爆風によって鉄筋コンクリートの家屋も破代の壊された。爆発のあと巨大なキノコ雲が上がり,や政がて雨となった。それは放射能をたっぷりと含み,治ススやチリを含んだ黒い雨だった。わずか1発の原子爆弾で12万名が死亡し,3万名が重傷を負った。これには軍関係者は含まれていない。当時の広島市には軍関係者4万名を含めて35?36万名がいたと推定され(昭和20年8月10日広島市役所調査),実際の死者はこれを大きく上回り,20万名という推定もある。8月9日午前11時2分,今度は長崎市上空でプさくれつルトニウム型原爆「ファットマン」が炸裂した。当時,死者3万5千名,重軽傷者4万名と概算されたが,その後の調査で死者7万4千名以上が確認された。(池田清編『図説太平洋戦争』河出書房新社)●2●戦争責任の世論調査1中国との戦争,米国との戦争をどう考えるかともに侵略戦争ではなかった10.1その他21.833.934.2%ともに侵略戦争だった中国との戦争は侵略戦争だったが,米国との戦争は侵略戦争ではなかった2アジアの人たちに被害を与えた責任感じ続けなければもう感じなくてよいならないNA47.0% 44.8 8.23日本の首相が中国,韓国に謝罪をくり返していることについて十分だまだ足りないNA63.0% 26.8 10.2(『読売新聞』2005.10.27)▲廃墟となった広島市中心部資料を読む被害と加害??平和主義の背景明治憲法下,軍部独走をまねいて戦争に突入した日本は,戦地で多数の死傷者を出すとともに,戦争末期には国内においても多大の惨禍をこうむった。東京大空襲,広島・長崎の原爆被爆(1)のほか,最後の戦場となった沖縄ではひめゆり部隊などに編成された少年少女を含む住民が多数犠牲となった。読売新聞の世論調査(全国の有権者3千人・個別面接聴取)では,対中戦争については68%が日本の「侵略戦争」と考えているのに対して,対米戦争については「侵略戦争ではない」と考える人が44%となり,「侵略戦争である」とする34%を上回っている(1)。日本の首相のこれまでの謝罪で十分かという質問(3)への年代別回答では,「十分だ」という割合は70歳以上が67%と最も多く,次いで20歳代の66%,最も少ない30歳代でも55%と半数を超えた(2)。