ブックタイトル資料政経

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概要

高校政治経済資料集

76 ?第2章日本国憲法の基本的性格第1編現代の政治1大日本帝国憲法下の政治●1●戦前の日本憲政史年ことがら自由18687174明治維新廃藩置県けんぱく民撰議院設立の建白(国会開設要求)ざんぼうりつ民権運動75778081讒謗律・新聞紙条例制定(政府批判封じ)西南戦争国会期成同盟結成(自由民権運動高まる)国会開設の詔。―このころ,民間の憲法案(私明擬憲法)作成盛んちちぶ84秩父事件など激化運動(民権運動沈滞)治明90教育勅語発布(天皇神格化を強化)治94日清戦争(~95)憲法1900治安警察法公布(政治結社・集会規制,労働体運動・農民運動の取締)制確04日露戦争(~05)立大101215大逆事件(社会主義弾圧,幸徳秋水ら死刑)韓国併合(朝鮮半島を植民地化)美濃部達吉,天皇機関説発表(立憲政治の実現擁護)第1次護憲運動(藩閥政府攻撃)対華21か条要求正18米騒動,原敬内閣成立(本格的政党内閣)デ大モ19普通選挙要求運動(普選運動)拡大ク朝鮮全土で独立運動(3・1運動)ラ正シ20日本最初のメーデー(労働運動高まる)232425関東大震災第2次護憲運動(政党政治の原則確立)治安維持法公布,普通選挙法公布とうすいけんかんぱん3031統帥権干犯問題(軍部の圧力高まる)満州事変勃発(中国侵略の開始)いぬかいフ323335365・15事件(犬養首相を暗殺)国際連盟脱退(国際的孤立化)天皇機関説事件2・26事件(首相官邸など襲撃)ァ昭軍部大臣現役武官制復活シろこうきょうズ37蘆溝橋事件(日中戦争のはじまり)ム和38国家総動員法制定(統制強化,戦時体制の体制確立)40大政翼賛会創立(政党の解体,議会の有名無実化)4145太平洋戦争開始ポツダム宣言受諾,日本降伏ー●2●植木枝盛「日本国国憲按」(1881年)したがっ第1条日本国ハ日本国憲法ニ循テ之ヲ立テ之ヲじ持ス(立憲主義)第2条日本国ニ一立法院一行政府一司法庁ヲ置そのもうク憲法其規則ヲ設ク(三権分立)さつげん第5条日本ノ国家ハ日本各人ノ自由権利ヲ殺減スえル規則ヲ作リテ之ヲ行フヲ得ズ(基本的人権)いはい第70条政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之うニ従ハザルコトヲ得(不服従権)ほしいままそむほしいまま第72条政府恣ニ国憲ニ背キ擅ニ人民ノ自由権ざんがいししゅさまた利ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ妨クルトキハ日本国民ハふくめつ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得(革命権)れんぽう第114条日本連邦ニ関スル立法ノ権ハ日本連邦人民全体ニ属ス(立法権)第118条連邦立法院ハ全国ニ一ヲ置ク(一院制)(家永三郎『植木枝盛選集』岩波文庫)●3●教育勅語(1890年10月30日)教育に関する勅語ちんおもこうそこうそうくにはじこうえんとく朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲたしんこうしんみんよちゅうこうおくちょう樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆いつよ心ヲ一ニシテ世々よそびなここくたい厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノせいかえんげんまたじつここなんじ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母こうけいていゆうふうふあいわほうゆうあいしんきょうけんおのニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レじはくあいしゅうおよがくおさぎょうならもっちのうヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲけいはつとっきじょうじゅすすんこうえきひろせいむひらつね啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常こっけんおもんこくほうしたがいったんかんきゅうぎゆうこうニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニほうてんじょうむきゅうこううんふよくかくごと奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハひとちゅうりょうまたもっなんじそせんい独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺ふうけんしょうた風ヲ顕彰スルニ足ランこみちじつこうそこうそういくんしそんしん斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣みんともじゅんしゅところこれここんつうあやま民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲちゅうがいほどこもととも中外ニ施シテ惇ラス朕爾臣民ト倶ニ拳けん々ふくよう服膺シテみなそのとくいつこいねが咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ明治二十三年十月三十日ぎょめいぎょじ御名御璽(『史料明治百年』朝日新聞社)資料を読む明治憲法の制定明治維新によって近代国家への道を歩み始めた日本は,1889年に大日本帝国憲法を制定した(1)。自由民権運動の中で多くの私擬憲法が作られたが,植木枝盛の「日本国国憲按」は民主的な性格のかし強いものであった(2)。憲法施行の直前に「下賜」された教育勅語は,国民(臣民)に忠君愛国の精神を植え付け,明治憲法体制に忠実な国民を育成する役割を果たした(3)。なお,教育勅語は1948年の衆参両院決議で失効した。これ