ブックタイトル資料政経

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概要

高校政治経済資料集

「学習の基本構造」を読む1.人権思想の発展近代における人権思想の発展は,1国民の権利から基本的人権へ,2自由権から社会権へ,3国民的保障から国際的保障へという大きな流れが認められる。国民の自由・権利の主張が最も早く登場したのはイギリスであった。マグナ・カルタ(1215),権利請願(1628),権利章典(1689)は,国王の権力を次第に制限しながら,国民の自由・権利を拡大していった歴史を示している。しかしこれらは,イギリス人が祖先から継承した古来の権利を確認するもので,天賦の人権(基本的人権)を宣言するものではなかった。国民の権利を基本的人権へと成長させたのは,ロック,ルソーなどの説いた自然権の思想(自然法思想)と社会契約の理論である。世界最初の人権宣言であるバージニア権利章典(1776.6)やアメリカ独立宣言(1776.7),またフランス人権宣言(1789)は,人権の「固有性」(国家から与えられたものではなく,人の生まれながらの権利),「不可侵性」(侵すことのできない永久の権利),「普遍性」(特定の国の国民の権利ではなく,すべての人の権利)を宣言している。フランス人権宣言をはじめ,18?19世紀の各国憲法で保障した基本的人権は,人身の自由,財産権の不可侵など自由権が中心で,このような自由権の保障は資本主義経済の発展をもたらした。しかし反面,資本主義経済の発展は,貧富の差こんきゅうしゃや失業を生み出した。そしてこのような困窮者を救済することも国家の任務と考えられるようになり,ワイマール憲法(1919)は,初めて,国家が国民に対して「人間たるに値する生活」(151条1)を保障する社会権を人権として確認し,また,財産権にも制約を加え,「所有権は義務を伴う」(153条3)ものとなった。第二次世界大戦後は,国際平和を実現するためには人権の尊重が必要であるとの認識から,人権を国内法的に保障するだけでなく,国際的に保障しようという動きが活発化した。その最初の試みが,国際的な人権保障の基準を示す世界人権宣言(1948年,国連総会採択)であり,その後,第2節近代民主政治の原理? 551966年には国際人権規約が国連総会で採択された(1976年発効)。これは,経済的,社会的及び文化的権利に関する規約(社会権規約,A規約),市民的及び政治的権利に関する規約(自由権規約,B規約)そしてB規約に関する選択議定書の三つからなるが,これは,法的拘束力を持たない世界人権宣言と異なり,批准国に法的拘束力を持たせようとするものだった。2.国民主権と権力分立近代憲法は,権利宣言と統治機構の規定の二つの部分からなるが,統治機構の原理は国民主権と権力分立である。国民主権とは,国の政治のあり方を最終的に決定する力が国民にあるという原理である。フランス人権宣言第3条の「あらゆる主権の原理は,本質的に国民に存する」は,これを明白に規定している。なお,リンカーンが南北戦争の際に行ったゲチスバーグ演説中の「人民の,人民による,人民のための政治(Thegovernment of the people, by the people, forthe people.)」は民主政治の本質を端的に表現した言葉として有名である。権力分立の考え方は,「権力を持つものはそれらんようを濫用しがちである」というモンテスキューのことばにもあるように,権力担当者への不信から出発し,国家権力が一人の人間あるいは一つの機関に集中すると,権力の濫用が生じやすく,国民の自由や権利が侵害される危険があるから,権力を分散し,相互に抑制と均衡(checks and balances)の関係を保持して権力の濫用を防止し,国民の自由と権利を保障しようとする理論である。したがって権力分立は国民の自由を守るための自由主義の原理に基づくもので,自由主義を基本原理としない社会主義国家は権力分立制度を採用しない。近代的な権力分立論は,はじめ,ロックによって『市民政府論』(1690)で,立法権と執行権の,立法権優位の権力二分論が提唱されたが,その後モンテスキューが『法の精神』(1748)において立法権・執行権(行政権)・裁判権の厳格な「三権分立」論を展開した。なお,立法・司法・行政の三権分立が権力分立の典型であるが,権力分立原理は国会の二院制,地方自治制度などにも見受けられる。新しい動き/視点日本の市民革命/日本社会は,欧米のような市民革命を経験していないと言われる。権力とは無縁の普通の人々が,既成の政治体制を倒して,新しい政権を立てることを市民革命と呼ぶなら,確かにそうした事例は日本の歴史にない。明治期の自由民権運動や戦後の安保改定への反対運動など,反政府的じょうじゅへな国民の動きが高まりをみせたことはあるが,それが成就したことはない。革命を経て民主政治を形成した欧米モデルがすべてではないとしても,集団内の和を尊重し調整を図る原理としてのみ機能してきた日本の民主政治のこれまでのあり方の限界が,市民革命の経験の有無とならんで議論される傾向が最近生まれてきている。第1編現代の政治