ブックタイトル資料政経

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概要

高校政治経済資料集

「学習の基本構造」を読む1.政治と国家政治とは,「集団や社会の利害調整(意思決定)過程」であるといわれているが,もっとも典型的に政治作用が展開されるのが国家である。一定の領域(領土)に生活する人間(国民)が,強制力をもつ国家権力(主権)のもとに法的に組織されるようになった社会を国家と呼ぶ。国家は,警察権・刑罰権・徴税権など法律に基づく強制力をもち,その強制力のもとに政治の目的を実現させるのである。このような強制力は国家のみがもつもので,この点で他の社会集団と異なる。現在みられる国家は,16世紀に出現した近代国家である。フランスのボーダンは『国家論』(1576)で,主権概念を提唱して絶対王政を正当化した。主権は多義的な語で,ボーダンが提唱したときそれは,国王のもつ国内においては最高で国外に対しては独立の権力を意味したが,次第に種々の意味で使用されるようになった。なお,国民主権とか君主主権という場合の主権は,「国政における最高決定権」の意味である。さて国王の絶対王政を正当化するためにジェームズ1世やフィルマーは君主の権力を神意に求める王権神授説を主張した。これに対して社会契約説は,自然法思想に基づいて,国家と国家権力の根拠を自然状態における各人の契約に求めた。ロックとルソーは国民主権(人民主権)を主張したが,この思想は,欧米の市民革命の原動力となって民主主義の発展に大きな役割を果たした。資本主義の草創期には,自由放任主義の考え方に立ち,国家は国民生活に介入せず,国防や治安維持という必要最小限の任務のみを行う自由主義国家,消極国家が理想とされた。ドイツの社会運動家ラッサールはこのような国家を「夜警国家」と呼んで批判し,社会的弱者を守るために国家は積極的に国民生活に介入すべきだとした。こぜせいの自由主義の行き過ぎを是正し,資本主義の弊害を解決するために積極的に国民生活に介入する国家は福祉国家,社会国家,積極国家と呼ばれる。また,いかなる政治権力も被治者によってその支配の正当性が認容されることを基盤とするが,ド第1節国家と法? 49イツの社会学者マックス・ウェーバーは正当性の根拠を伝統的支配,カリスマ的支配,合法的支配の三つの類型に分類した。この類型は一つの理念型であり,現実の政治権力は,いくつかの側面を含む正当性を有する。2.法と法の支配法は,道徳などとともに社会生活規範のひとつであるが,道徳が自己の良心に基づく自律的規範であるのに対し,法は秩序の維持と正義の実現を目的に,国家権力の強制力を背景に,主として人の外的行為を規制する他律的規範である。法は,その存在形式により不文法と成文法に分けられる。不文法には慣習法,判例法,条理があり,成文法には,憲法,法律,命令,規則などがあるが,国の最高法規である憲法を頂点に,法律,命令・規則と優劣の段階がある。16?18世紀のヨーロッパの絶対王政のもとでしいは王の恣意による支配(人の支配)が行われてきた。これを否定して,国民の自由や権利を守るため政治が法という基準により行われるべきであるとするのが「法の支配」である。この考え方はイギリほうがスで発展し,その萌芽は1215年のマグナ・カルタにもみられるが,17世紀はじめ裁判官コーク(クック)がジェームズ1世に対抗して,13世紀の裁判官ブラクトンの「王といえども神と法の下にあり」という言葉を引用して法の優越を主張し,「法の支配」の確立に努めたのは有名である。「法の支配」の精神はイギリス,アメリカの法伝統の中に流れていて,今日では,議会が制定する法の優位の思想に発展し,議会主権の考え方が確立している。イギリスの公法学者ダイシーは,『憲法序説』(1885)で,「法の支配」を定義し,そして「法の支配」と「議会主権」がイギリス公法の二大原理であると指摘した。なおアメリカでは,「法の支配」は,国民の基本権を規定した成文憲法のもと,違憲の法令を裁判所が無効にできる違憲法令審査権として結実している。これに対して,ドイツで発達した法治主義は,権力の行使はすべて法に基づかなければならないとする主張であるが,法の内容的な正当性を必ずしも必要とせず,その意味で,法の権力に対する優と位を説く「法の支配」とは異なる。新しい動き/視点国家が暴力を独占する?/人間社会には,様々な場面で暴力が存在する。暴力団の抗おびや争は以前からあり,最近では家庭内暴力がよくニュースになる。それらを放置すると人々の生活の秩序は脅かされ,社会の基盤さえ崩れることになる。だからこそ国家がその規制に入る。しかし,その規制も国家のもつ暴力によって行われる。この場合,国家の暴力は「必要悪」として正当化される。社会は,国家に暴力を独占させることで,様々な暴力をコントロールしていると言ってもよい。そして,暴力を独占する国家をコントロールするのが,国家が人々に守ることを強制する法律のもう一つの機能である。第1編現代の政治