ブックタイトル資料政経

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概要

高校政治経済資料集

28 ?――政治・経済便覧4大日本帝国憲法(明治憲法)ご発布1889(明治22)・2・11施行1890(明治23)・11・29廃止1947(昭和22)・5・2ちょく憲法発布勅語ちんりゅうしょうしんみんけいふくもっきんえいそそうう朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニよおよびこふまたいてんせんぷ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布おもわそそうほよくよスちょうぞう惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テむきゅうたいとくならび無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国したがもっこうきせいせきのこすなわヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ即ちゅうりょうそほうたいしょうじゅんチ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順あいともわちゅうきょうどうますますちゅうがいせんよういぎょうきょうシ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏こおなじわかたうたが固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ(上諭)ちんそそういれつうばんせいいっけいていいふちんところしんみんすなわ朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カそそうけいぶじようところおもそこうふくそいとくりょうのう祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能またそよくさんよともともしんうんふじヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持のぞすなわしょうめいりせんここたいけんセムコトそつゆヲ望ミ乃チ明治14年10月12日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由ところこうしおよびじゅんこうところスル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシムとうちこれうこれつたおよび国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子こじょうしょうしたがこれあやま孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆わおよびきちょうこれラサルヘシこ朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範おいそきょうゆう囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言スもつこれもつこ帝国議会ハ明治23年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有き効ナラシムルノ期もしこトスヘシあかいていじぎいたおよび将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕けいとうはつぎとこれふこカ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要よこれほかおよびあえこれふんこうこころえ件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシざいていたいしんためこしこうせめにん朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将こじゅうじゅんお来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負ぎょめいぎょじフヘシ御名御璽明治22年2月11日内閣総理大臣伯爵黒田清隆枢密院議長伯爵伊藤博文(以下,各大臣8名連書,略)用語解説勅語天皇の意思表示の言。慶福めでたいこと。幸い。欣栄喜び栄えること。祖宗代々の君主の総称。不磨すりへってなくならないこふめつふきゅうと。不滅・不朽。大典重大な法典。輔翼ほさ。たすけること。輔佐肇造初めて造ること。創造。無窮限りや終わりがないこと。威徳みだりに近寄りがたい威光したと,人から慕われるような徳。いこう奉体うけたまわってよく心にとめ,また実行すること。奨順すすめて従いおこなわせること。和衷協同心を同じくしてともに力を合わせること。中外国内と国外と。宣揚世の中にあらわすこと。遺業故人が成しとげて,この世に残した事業。鞏固強く固いこと。強固。遺烈後世に残した功績。万世一系永遠に同一の系統がつづくこと。恵撫慈養めぐみ愛し,いつくしみ養うこと。懿徳良能大きく立派な徳と生まれながらの才能。詔命天皇の命令。履践実際におこなうこと。大憲大きなおきて。憲法。率由従うこと。循行命令に従っておこなうこと。紛更かき乱して改めること。憲法を読む・1帝国憲法の基本原理(上諭)日本の憲法の歴史は,大日本帝国憲法(明治憲法)の成立にはじまる。1882(明治15)年,憲法調査のひろふみ勅命を受けてヨーロッパに留学した伊藤博文は,主としてドイツにとどまり,ドイツ諸州の憲法を学び,君主大権主義的なプロイセン憲法を日本の憲法のモデルとすることに確信を得た。大日本帝国憲法の構想は,伊藤のすうみついん枢密院での説明「君権ヲ機軸トシ……欧州ノ主権分割よニ拠ラズ」ということばに明らかにされている。憲法の起こわしみよじけん草は,伊藤を中心に,井上毅,伊東巳代治,金子堅たろう太郎らによって行われた。明治憲法の上諭(天皇の裁可を表示したもので,法令の目的または基本原則を宣言する)は,日本国憲法の前文に相当し,憲法典の実質的な構成部分となっていた。上諭は6段落に分かれており,その主な内容は,まず,1憲法制定の由来と目的および憲法が天皇によって制定されることを明らかにし,つぎに,2憲法の基本原理として天皇主権主義を宣言し,最後に,3憲法施行についての国務大臣の責任と国民(臣民)の従順のしんちょく義務を説いている。すなわち,神勅に由来する天皇の国家統治の権利(神勅主権)を基礎とした,欽きんてい定憲法(君主の意思によって制定し,人民に与える憲法)という,大日本帝国憲法の基本的な性格が明らかにされている。