ブックタイトル資料政経

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概要

高校政治経済資料集

第4節基本的人権の保障? 129賛成おもな論点反対1結婚によりどちらかが改姓するのは,夫または妻じょうほのどちらかが譲歩するわけで,男女平等に反する。2どちらかが改姓するのは,氏名権(人格権)の侵害である。3改姓は個人のアイデンティティ(自己同一性)のあかそうしつ一つの証しを放棄することになり,自己喪失感をも456たらす。改姓すると仕事に支障が生じたり,社会的信用や学問的実績が断絶される。結婚して夫の姓になると嫁扱いされるなど,「家制度」を温存することになる。自分の生き方についての基本的な問題は,自己の決定にまかすべきである。(ライフスタイルについての自己決定権)7多様な結婚のあり方を認め,希望する夫婦には別姓という選択の幅を広げるべきである。?姓は古来から血縁集団の表象ないし血縁関係の表示であり,夫婦別姓は,家族制度や婚姻制度などの社会秩序を破壊する。?姓は家族という社会で最小単位の団体の名称で,夫婦同姓は夫婦をつなぎとめる意識のきずなである。?姓はファミリーネームなのだから,同じ家族の中うじで氏が違うのはおかしい。?職場での旧姓使用と夫婦別姓は,別の問題である。職場で旧姓使用に不利な状況があるなら,通称使用を制度化して,その不便・不利益を解消すればよい。?「ライフスタイルについての自己決定権」は,「個人」むきはんの「自由」と引き換えに社会に無規範と無秩序をもたらす発想である。第1編現代の政治主張1同姓の強制は男女平等に反するうじ民法750条は,けっして,夫の氏を夫婦の氏と定めているわけではなく,夫の氏,妻の氏いずれも選択する機会を与えているから,「機会の平等」は確保され,両性平等に反しないとする考え方があります。しかし「機会の平等」といっても……現状は,97.8%の夫婦が夫の姓を選択しています。……このような不平等な結果が発生する場合は,そうした結果をもたらすルール,すなわち「機会」そのものが不平等であるとも考えられます。……夫婦の姓についていうならば,夫,妻それぞれがじょうほ相手に譲歩することなく,自分の望む姓を使用できる権利が認められることによってはじめて「結み果の平等」を満たすことができるのです。(『これからの選択夫婦別姓』日本評論社)主張2同姓の強制は氏名権の侵害である氏名権が人格権であるとすると,結婚をするときに夫婦の一方が必ず姓を捨てることを強制されることは,人格権である氏名権を侵害されることである。正しく母国語読みをして欲しいというのが氏名権であるとすれば,生まれたときから使っている名前を,たとえ結婚しても使い続けたい,結婚したからと言ってどちらか一方が必ず改姓を強制されたくないというのも,氏名権ではないだろうか。(福島瑞穂『結婚と家族』岩波新書)主張3同姓の強制は「プライバシーの権利」の侵害である結婚という私的事項の公表を望まない人にとっちめいてきて,結婚改姓は致命的です。夫婦同姓の強制は,一方当事者の改姓を強制し,その人の「結婚」というかいじ情報をいやおうなしに開示する結果となります。(『これからの選択夫婦別姓』日本評論社)主張4氏名は個人の持ち物ではないろんきょ議論の混乱を深めているのは,夫婦別姓の論拠として,憲法上の人格権??自己決定権としての氏名についての権利が持ちだされていることだ。しかし……この事案(NHK日本語読み訴訟)の判かくちょうえんようよ例を拡張援用して夫婦別姓論の拠り所とすることは論理的に正しいだろうか。なんぴとつまりこういうことである。われわれは,何人みずかもせん自らの姓や名を勝手気ままにつけることはない。先ぞでんらい祖伝来の家にまつわる姓氏と親や親族がつけた名前によって,あなたのそして私の姓名は構成されてみちびいるはずだ。……もし憲法13条から導かれる個人の自己決定や自己実現という人格的権利を徹底するりろなら,姓氏全廃に行きつくのが理路当然である。配偶者の姓に改めることが氏名権を侵すというのであれば,どうして親の姓の使用強制は氏名権の侵害に当たらないのだろうか。個人の自己決定権をあくすべからまで重視するなら,人は須く姓氏を捨て,自らが決した一つの名前のみで生きるべきということになる。(八木秀治・宮崎哲弥『夫婦別姓大論破!』洋泉社)主張5「選択制だから構わない」というのは危険法律の世界におけるかぎり,「選択の幅を広げる」ということは,店の棚の品ぞろえを増やすというようなことではない……。たとえば,一般道路の制限速度が時速60キロのところを,時速100キロの選択も許すとしたら,それがどんな意味をもわかやすつか,と考えてみれば解り易い。そこでは「選択たんてきの幅を広げる」のは,端的に「法律を変更する」ことなのであり,それは,ただ従来の法律に不便・不快を感じる人があるからというだけの理由で行われるべきことではない。(長谷川三千子『日本の論点'97』所収)