ブックタイトル資料政経
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高校政治経済資料集
124 ?第2章日本国憲法の基本的性格●4●部落差別●5●在日韓国・朝鮮人差別現代の政治1どんな問題が起きているか0 10 20 30 40(%)50結婚問題で周囲が反対す37.342.9ること47.527.8身元調査をすること30.130.123.2就職・職場で不利な扱いを29.8すること28.224.9差別的な言動をすること26.423.3インターネットを利用して差15.02012年調査第別的な情報を掲載すること14.58.72007年調査17.6編差別的な落書きをすること9.82003年調査8.5(複数回答)(内閣府『人権擁護に関する世論調査』)資料を読む差別は見えにくい部落差別は同和対策事業や部落解放運動などによって弱まる傾向にはあるが,目に見えない心理的差別や,戸籍の本籍など出身地を問題とする就職・結婚差別は依然としてなくなっていない(4)。私たちは,人権が尊重される社会を作ることに向けて努力を続けることが求められている。1国籍別登録外国人数(2011年末)米国49,815人2.4 %ペルー52,843人2.5 %フィリピン209,376人10.1 %その他336,162人16.2 %ブラジル210,032人10.1 %総数2,078,508人韓国・朝鮮545,401人26.2 %中国674,87932.5 %(『日本の統計』2013より作成)2部落問題のいま2在日コリアンの来歴部落問題の見方を,私なりに整理してみたいと思う。韓国併合(1910年)ののち,日本政府は植民地朝まず最初に言いたいのは,長い目で見れば,部鮮で大規模な土地調査事業をおこなったが,これに落差別は以前に比べて厳しくなくなっているというこよって土地を失い,国有地(朝鮮総督府)の小作人かれつとである。逆に言えば,かつての部落差別は苛烈となって貧困化する農民が続出した。また1918年のきわを極めた。米騒動を契機に朝鮮半島で産米増殖計画が始まり,私は差別を,直接的差別と間接的差別の二種類米の生産高は飛躍的に伸びたが,増加分を上回るに分けて考えている。直接的差別とは,部落民であ量の米が日本に運ばれたため,朝鮮の農民・庶民のきひこんきゅうることをわかった上で,危害を加えたり忌避すること生活は困窮し,日本や中国東北部に職を求めて移住である。最悪の場合,部落民を殺害することもある。または出稼ぎに行く者が急速に増えた。せんみん1871年(明治4)に賤民廃止令が布告された。さらに1930年代後半になると,日中戦争の長期西日本では,部落民が自分たちと同じようにふるまう化で日本国内(内地)では徴兵により若い男が戦場ことを嫌った部落外の人たちが,各地の部落を襲っに行き,深刻な労働力不足が発生したため,政府いっきた。いわゆる解放令反対一揆である。1877年(明は朝鮮から労働者を動員する政策をとるようになっ治10)までに,わかっているだけでも21件,死傷た。39年には日本企業による「募集」,42年には朝かおくかんあっせん者48人,家屋の焼失および損傷は2千戸を超える。鮮総督府が関与する「官斡旋」,4 4年には「徴用」…がおこなわれ,内地に労務動員(強制連行)されたこのほか直接的差別には,身体に触れない,とも朝鮮人労働者は80万?120万人に及んだとみられに食事をしない,差別発言をするなどがある。部落る。の古老の聞き取りで,つり銭を手渡さずに投げて寄1945年に終戦を迎えたあと,内地にいた朝鮮人越した,という話がよく出てくる。これはどこの地域での軍人・軍属は優先的に朝鮮帰還の措置がとらもあった直接的差別のひとつである。れた。また労務動員された朝鮮人のほとんどは,ま間接的差別とは,たとえば私が部落民であることもなく日本政府の計画送還(GHQの命令によってを知らずに,面前で差別的な発言をした場合などで船を準備し,運賃無料,財産持ち帰り制限1千円,ある。…このような間接的差別は,私の体験だけで持ち帰り荷物制限250ポンド)により帰国している。も,数え上げればきりがない。結局終戦時に日本国内にいた約200万人の朝鮮人(角岡伸彦『はじめての部落問題』文春新書)のうち60万人が,帰国後の生活のメドが立たない,複雑な国籍現在,在日コリアンの呼称としては「在日韓国・朝鮮人」という言い方が一般的である。彼らは日本の植民地時代には「日本人」とされ「日本国籍」であったが,1952年に国籍を剥奪され,外国人登録の国籍欄には便宜的に出身地を表す「朝鮮」が記入された。その後,登録切り替えの時期に要請があれば「韓国」と書き換えた。その手続きをしたかしていないかの違いである。