ブックタイトル資料政経

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概要

高校政治経済資料集

1国家のために死んだ人を慰霊することは国家(代表者)の役目であり,軍国主義とは無関係である。2いわゆる「A級戦犯」合祀が明らかになった1979年(大平首相時代)以降も,歴代首相は6年半にわたり21回参拝したが,中国の抗議・非難はそのあとであり,中国の政治的思惑から生じているに過ぎない。3「全国戦没者追悼式」では,首相が参列し「戦犯」も追悼されているが何の問題にもなっていない。4毎年,首相は新年に伊勢神宮を参拝しているが,伊勢神宮参拝はよくて,靖国参拝は違憲なのか。第4節基本的人権の保障? 119賛成おもな論点反対主張1政府は宗教上の儀式を行うものである日本国憲法は厳格な政教分離を要求しておらず,最高裁判所の判決においてもそのような憲法解釈が定着している。……憲法第20条第2項には「何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない」と規定されている。憲法の人権規定という?戦死した軍人を国家のための犠牲者として慰霊することは,戦前の軍国主義・国家神道の時代のそれと同じである。?仮に戦没者の国家的・公的な追悼が必要とされたとしても,特定の宗教と関わりのない場でおこなうべきである。?首相の公式参拝は政教分離の原則(憲法20条)に反する。?A級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝は,かつての日本の侵略戦争を正当化しアジアの人々の感情を傷つけるからやめるべきである。のは政府と国民との関係を規定するのが基本だから,と認定して確定している(岩手靖国訴訟の盛岡地裁一これは宗教上の儀式への出席を政府が国民に強制して審判決は,事実上「合憲」と認定したが,仙台高裁判はならないという意味になる。ところで,政府が宗教決で覆された)。「合憲」の確定判決がひとつもなく,「違上の儀式を行うことそのものが政教分離違反だとすれ憲」の確定判決が複数存在するという事態は,首相やば,政府がそのような行為を行うことは有り得ない。政府が宗教上の儀式を行うことがないとすれば,「国民に対する参加の強制」などという事態はさらに有り得ない。そうなると,第20条第2項は無意味または矛盾した規定ということになってしまう。これでは法解釈の大前提に反することになるので,要するに,政府が宗教上の儀式を行うことはあり得るとの解釈を採らなければならないのである。そこで,最高裁も憲法は“政府と宗教との関わりを完全に禁じてはいない”との立場に立って,その関わり方が特定の宗教の助長や圧迫になってはならないとする「目的効果基準」を採用しているのである。こうして,首相の靖国神社への参拝も,神社神道の助長や他の宗教への圧迫にならなければかまわないということになるわけである。主張2主体的に考え,行動しよう靖国神社の問題であれ歴史教科書の問題であれ何であれ,隣国の反応がただちに自らの行為の基準になるというのでは,その問題を自分の頭でまったく主体的に考えていないに等しい。そして,主体的に考え行動する国民でなければ,自らの歴史に直面し,その責任をひき受けることができず,したがって決して隣国に信頼されず,隣国と友好関係を築くこともできるはずがないのだ。靖国神社や歴史教科書のような問題を考える場合,隣国の不快感は考慮しなければならないが,それ以上に原則を大事にしなければならない。(橋爪大三郎『検証・靖国問題とは何か』PHP)主張?首相の靖国参拝は違憲であるこれまでのところ,首相の靖国参拝に関して「合憲」と認定して確定した判決はひとつも存在しないのである。逆に,岩手靖国訴訟の仙台高裁判決や,小泉靖国参拝訴訟の福岡地裁判決が,明確に「違憲」と認定し,中曽根靖国参拝訴訟の大阪高裁判決も,「違憲の疑い」天皇の靖国公式参拝を定着させたい人々にとって頭が痛いにちがいない。(高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書)主張?名誉の戦死をたたえる儀式大日本帝国が天皇の神社・靖国を特権化し,その祭祀によって軍人軍属の戦死者を「英霊」として顕彰し続けたのは,それによって遺族の不満をなだめ,その不満の矛先が決して国家に向かうことのないようにすると同時に,何よりも軍人軍属の戦死者に最高の栄誉を付与することによって,「祖国のために死すること」を願って彼らに続く兵士たちを調達するためであった。(高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書)主張?靖国は伝統的神道から逸脱した神社靖国神社に象徴される明治の国家神道は,決して伝統的な神道とイコールではなく,ヨーロッパから輸入された国家主義の日本版,国家主義的に改造された神(新田均『靖国神社をどう考えるか』小学館文庫)道にすぎない。それは欧米諸国がしのぎを削っていた19世紀末という時代に,西洋諸国に負けない国を造るため,明治政府が作り出した国家を神格化するための宗教です。つまり明治の日本は神道から国家主義に必要なもののみを切り取って宗教を作り,それをあたかも悠久の昔から続いていたかのように見せかけようとしたのです。公式参拝がなぜ許されないか。それはこのような明治神道のあり方をもう一度承認することになるからです。それは当時においてそうだったように,それのみが日本の伝統精神であったかのように装い,是に対する批判を権力によって抑えるおそれがあるのです。(梅原猛『検証・靖国問題とは何か』PHP)第1編現代の政治