ブックタイトル資料政経
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高校政治経済資料集
116 ?第2章日本国憲法の基本的性格●4●学問の自由●関連憲法条文第2 3条〔学問の自由〕学問の自由は,これを保障する。判例東大ポポロ劇団事件??大学の自治と警察権【事実の概要】1952(昭和27)年2月,東京大学の教室内で大学公認の「劇団ポポロ」が松川事件に取材した劇を一般公第1開上演していた。この教室に警察官4名が警備情報を編収集する目的で,私服で入場していたのを学生が発見し,現3人の身柄を拘束し,警察手帳を取り上げ謝罪文を書代かせた。被告人はその際,洋服の内ポケットに手をいれ,の政警察手帳とボタン穴を結んでいたひもをちぎる等の暴行治を加えたとして,起訴された。なお,警察手帳には,連日のように大学構内に入り,学生・教職員等の情報収集をしていたことが記されていた。1・2審とも被告の行為は大学の自治を守るための正当な行為で違法性がないとして無罪を言い渡した。【最高裁(大法廷)判決の要旨】(1963.5.22)「……大学の学問の自由と自治は大学が学術の中心として深く真理を探究し,専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから,直接には教授その他の研究者の研究,その結果の発表,研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。……学生の集会が真に学問的な研究,またはその結果の発表のためのものでなく,実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合は,大学きょうゆうの有する特別の学問の自由と自治は享有しない。……本件集会は,真に学問的な研究と発表のためのものでなく,実社会の政治的社会的活動であり,……大学の学問の自由と自治は,これを享有しないといわなければならない。したがって,本件の集会に警察官が立ち入ったことは,大学の学問の自由を犯すものではない」。資料を読む政治的・社会的活動は大学自治の圏外2審の東京高裁判決(1956.5.8)は,警察権力が公安維持の名目で無制限に大学内において警備活動を行う場合,大学側はこれを拒否する正当な権利をもつとし,大学の自治と警察権の限界を明確にした。最高裁は,この判決を破棄し,学生の「政治的・社会的活動」は大学の自治の圏外にあり,そのような集会への警察官の立ち入りは違法ではないとした。しかし,歴史的体験にかんがみ,「外部からの干渉」を排除することによって学問の自由が保障されるとする意見もある。スポット明治憲法下の思想・学問への弾圧事件森戸事件1920年河上事件1928年天皇機関説事件1935年矢内原事件1937年河合事件1938年津田左右吉事件1940年滝川事件(京大事件)??学問の自由・大学自治への弾圧治安維持法は1930年代に思想弾圧法規の中軸として共産党を壊滅させた。同時にファッショ的風潮も高まり,自由主義や民主主義も国家の弾圧の対象となっていった。1930年代初めの思想問題(大学生の赤化問題)に危機感を抱いた復古主義的右翼は,その原因が自由主義思想にあるとして……自由主義的法学者を非難しゆきときていたが,32年10月に滝川幸辰が中央大学で行った講演をとらえ攻撃を開始した。議会では貴族院の菊池武夫と衆議院の宮沢裕が滝川の著書『刑法読本』を危険思想であると攻撃した。内務省はこれをうけいれて,33年4月11日滝川の『刑法読本』『刑法講義』の二著を発売禁止とした。ついで鳩山一郎文相や文部省は小西重直京大総長に滝川教授の辞職または休職を要求した。これが拒否されると5月26日滝川の休職処分を発令した。これに対し法学部の全教官が辞表を提出し,学生は学生大会を開いて抗議した。全国の知識人,学生も大学自由擁護連盟をつくるなど支援したが,運動は十分広がらなかった。文部省は京大法学部教授会を分断するため,滝川,佐々木惣一,宮本英雄,末川博,森口繁治,宮本英脩の6教授のみを免官とした。……その後学内の学生組織が解散を命じられるなど自主的な運動が抑圧された。この事件は,思想弾圧が社会主義思想抑圧から自由主義思想抑圧まで一気に拡大される出発点となった。(『大百科事典』平凡社)東大助教授森戸辰男が雑誌に発表した論文『クロポトキンの社会思想の研究』を危険思想の宣伝として,同助教授を休職処分に,未発売の雑誌を回収した。三・一五事件(共産党の大弾圧)に伴い,マルクス主義研究者の京大河上肇,九大向坂逸郎らが大学を追われた。東大法学部教授美濃部達吉(貴族院議員)の憲法理論(天皇機関説)が国体に反するとして軍部・右翼の攻撃を受けた。議会でも「学匪」と攻撃されて,衆議院も国体明徴決議を可決したため議員辞職を余儀なくされた。東大経済学部教授矢内原忠雄が雑誌『中央公論』に発表した,日中戦争批判を内容とした論文が“国賊的言論”とされ,同教授は大学を追われた。東大経済学部教授河合栄治郎の日中戦争に反対する『ファッシズム批判』などが発禁となり,同教授も大学を追われた。早稲田大学教授津田左右吉の厳密な文献批判による実証的な古代史研究に対して,右翼の排撃運動がおこり,『神代史の研究』などの著書が発禁とされた。