ブックタイトル資料政経
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高校政治経済資料集
第2節平和主義と日本の安全保障? 97事例研究米軍基地問題普天間基地返還問題??沖縄の痛みを感じていますか?沖縄が日本に復帰したのは太平洋戦争(第二次世界大戦)が終わってから27年後の1972ぎのわんふてんま年。それまでアメリカに占領され,その間,激戦地であった宜野湾市に作られた普天間飛行場(481hヘクタールa,東京ディズニーランドの10倍の広さ)は現在,住宅や学校が隣接している。1995年の米兵少女暴行事件をきっかけに,米軍および日本政府に対する沖縄県民の怒りと不満が爆発して大規模な県民総決起集会が開かれた。日米政府は翌年に,移設条件付きで5年から7年以内に全面返還すると合意したが,いまだ実現していない。基地はなぜ沖縄に集中米軍基地の重圧に苦しむ沖縄県民の悲痛な叫びに,政治家も官僚も本土に住むわれわれも,どれだけ耳を傾け,自分の痛みとして感じてきたのであろう。太平洋戦争末期,日米両軍が激しい地上戦をかかずぎのわん繰り広げた「嘉数の丘」(沖縄県宜野湾市)に登ると,眼下に広大な米軍基地が広がる。米海兵隊普天間飛行場。住宅地や学校がフェンス近くまで迫り,世界でも最も危険な飛行場と言われてきた。日米両政府が普天間飛行場返還で合意したのがだいたいなごへのこ日米安全保障条約体制とそれに基づく米軍の日本駐留が,日本を含む極東の平和と安全の維持に不可欠というのなら,その基地負担は日本国民が可能な限り等しく負うべきだろう。より重い基地負担を沖縄に押し付け,本土がその恩恵に預かる「差別的構造」は一刻も早く解消されなければならない。県内移設でこれ以上,沖縄に基地負担を押し付ければ,米軍基地は県民の反感に囲まれる。これは日米同盟の健全な姿か。これで同盟は機能するのか。場合によっては,本土も新たな基地負担を求められることもあろう。それを受け入れる覚悟がないひびく。1996年。その後,代替施設を同県名護市辺野古まま,同盟強化を叫んでも,むなしく響よしひこの米海兵隊キャンプ・シュワブ沿岸部に造ることを9月に就任した野田佳彦首相は日米合意通り県決めたが,地元などの反対が強く,いまだ返還は実内移設を進めるのだそうだ。別の道を探った方が普現していない。……天間返還はより早く実現できそうだと,ほんの少しの沖縄県には在日米軍基地の約74%が集中し,県想像力を働かせれば分かるのに。政治家や官僚に民は日々の騒音,相次ぐ事故や米兵による犯罪,とって,それは「不都合な真実」なのか。米軍の戦争に手を貸す心理的重圧に苦しむ。辺野もし,沖縄駐留を望む米軍や米政府に国外・県古への移設は県内で基地を移すだけにすぎず,県外移設を切り出す勇気がなく,迎合しているだけな民の抜本的な基地負担軽減にはならないからだ。ら,あまりにも悲しい。われわれはまず,なぜ米軍基地がこれほど沖縄(豊田洋一『東京新聞』2011. 10. 14)に集中しているのかを考える必要があろう。沖縄の米軍基地用地は,第二次世界大戦後の米軍統治下で「銃剣とブルドーザー」によって強制収用されていった。本土の米軍基地の87%が国有地なのに対し,沖縄県では国有地は35%にすぎず,33%は民有地ぎふだ。また,在沖縄海兵隊は以前,岐阜,山梨両県に駐留し,本土での反基地闘争の激化を機に沖縄に移駐した経緯がある。つまり沖縄への米軍基地集中は,日米両政府が強調する東アジアの各地域に近いという地理的要因ではなく,米軍占領や本土による押し付けという歴史的要因によるものなのだ。第1編現代の政治